鴨川に寄せて

論理性などありはしない 自分を解くのみ

1月11日 結婚

よしもとばななの『イルカ』を読んで、女の生き方や結婚、子どもを産むことについてうんうん唸りながら考えていたら、少し年上の先輩が数人がめでたくも今年中に結婚すると立て続けに報告していて余計に不思議な気持ちになった。

24や25は現代で言えばちょっと早婚であると言えるけれど、決しておかしいことではない。法律では婚姻を結ぶことができる16歳になった時、私はこの16歳という年齢に何の意味も感じていなかったけれど、今年23歳になる私は、年齢というものがとても重たく感じられる。空想、あるいはもう妄想ともいってよかった結婚や出産という人生の節目が、一挙に迫ってくるように思える。周囲の知人が全員そうである、ということは決してないが、今付き合っている人と何歳で結婚して、何歳で子どもを産む、それから親の介護にまで話が及ぶと、私は来るところまで来てしまったな、という思いに途方に暮れる。

私は、結婚や出産それ自体に(現状であるが)、それほど執着がない。残念ながら私は独りがとても好きなのと、面倒くさがりなので、周囲の結婚で動揺することはあるだろうが、婚活!婚活!とあくせく走り回るエネルギーはきっと将来湧き出てこないのだと思う。(もし30歳未婚の私がこの記事を見たら、笑い飛ばしてください)

ただ、好きな人と力を合わせて生活していくことにとても魅力を感じる。社会が次々と変化していく中で、婚姻の形が変わらないはずがない。ここで話を膨らますことはしないけれど、私は別居婚事実婚同性婚も、他者を害さない、という責任を負うならば、素敵なことだと思う。男の人も家事をたくさんすればいいし、女の人もちょっと踏ん張って仕事をしてもいい。もちろん愛だけでやっていけないこと、生活をすることによって関係性が悪い方向に変容するかもしれないリスクも考える。それでも私は好きな人と互いのパートナーシップをはぐくめたらいいと思う。理想論だけど、それが許容される社会を作ることができたらいいと思うのだ。

私は結婚するのかもしれないし、結婚しないのかもしれない。でも、好きな人が眠っていたら布団をかけてあげたい。好きな人がお腹をすかせていたらたくさん食べさせてあげたい。好きな人が悲しい時はただそばにいたい。好きな人の人生に自分の存在を認めてほしいのだ。その願いが叶い、周囲にそのことを示すことができるのが、結婚というものだと、現在は理解している。ただ、まだまだ幼い私は不確定な未来を怖がりながら、ただただ恋人のそばにこれからもいられるように祈ることしかできないのだ。