鴨川に寄せて

論理性などありはしない 自分を解くのみ

2月13日 喧嘩

こんなエピソードがある。

小学6年生の卒業遠足のことだった。義務教育が好きなグループを作ってUSJを巡るという内容だった。私たちのグループは6~7人くらいで、事前にどのアトラクションに乗ろうか議論していた。そんな中で、グループの1人に絶叫系の苦手な女の子がいて、あまり乗り物に乗れないから他のみんなを待っている、けれどショーだけは見たいと言っていた。私たちはじゃあ約束ね、と言ったのだけど当日、なんと一人の子がショーは見たくない、スパイダーマンに並びたいと言い出し、何人かが賛同したのだ。私は本当に怒ってしまってアトラクションが苦手な子と、もう一人憤ってた友人の手を引き、グループを離反してショーを見に行った。(その約束反故の女の子は高校まで一緒だったのだが、私の友人の悪口を言ってるのを聞いてまた喧嘩しそうになったのである)

さらに、中学3年もう受験も終わり、卒業式を待つのみ。これから未来に向かってばらばらに散っていく友人たちと別れを惜しむべきそんな時。当時仲が良かった女の子の悪口を聞き、その場で憤り大喧嘩。悪口を言われた女の子はそのことを聞き、「○○ちゃん(私)が損になることをしちゃだめだよ」と大泣きしながら電話をくれ、諭された。

高校になっても教室で恋愛に拗れた男の子とガチ喧嘩をし周囲ドン引き、めそめそしてクラス会長や先生に慰められる。生徒会室で好きな男の子に思いっきり怒って出ていき、後悔して友人にめそめそ泣きつく。

 

色々思い出して頭が痛い。私はかなり喧嘩早いころがあり、これは本当に直すべき性質である。悪態をつかれると悪態で返してしまう。自身や友人が悪意に晒されると、黙ってられないところがある。損だし、いちいちかっかしてたら情けない、受け流すすべを覚えないといけないことは承知である。かつての友人に、そういううまく怒りの感情をコントロールして敵を作らないよう立ち回るのがうまい人がいて、私はそのやり方が大嫌いなのだけど、学ばなければならないと切に思う。

怒ることは悪いことではない。けれど、そのことによって自分や大切な人が損をしないか?さらに悪い状況にならないか?こういうことを考えなければならない。そして、例え損になったとしても受けるべき喧嘩は受けなければならないのである。絶えず考えろ、戦場を見誤るな。