鴨川に寄せて

論理性などありはしない 自分を解くのみ

2月17日 子ども

少し前に「結婚」についての記事を書いたけれど、その続きのようなものを書いていきたいと思う。本日は「子ども」について。

小学校から大学にかけて、恋愛や結婚について語った友人に多かったのが「早く結婚して、子どもを産みたい」という考えだった。中には旦那はいらないから子どもだけほしいという子もいた。子どもを好きな友人が多かったのである。それ故に、私はそんな話題が出るたびにちょっと困った顔をするしかなかった。私は別に子どもが嫌いなわけではない。ただ、「絶対に子どもが欲しい。婚活してでも絶対に結婚して、子どもを持つ」という意見には、同意できないのである。

まず、私は子どもがどういう存在であるかということをあまりわかっていない。私は一人っ子で、ほとんど交わりのない親戚の中でも一番年齢が低い。知人もまだ子どもを産む年齢ではない。圧倒的に子どもと関わる機会がないのである。好き/嫌いの以前に、得体の知れないものへの恐怖が勝っているのかもしれない。交通機関なので泣きじゃくる子どもを見るとびっくりしてしまう。それから、将来への諸々な不安である。自分ひとりが将来ちゃんと生活していけるか不透明な時代。他者の人生を作り出してしまうことに、自分は責任を負えるのか?と自問しては悩んでしまう。この日本という先行きがどうも怪しい国で、私は子どもにちゃんとお金と愛情をかけてあげられることができるのだろうか。そもそも、自分は一人の人間に対して責任を負えるほどまともな人間なのだろうか、いやそうではないだろう、と思考がぐるぐる回る。産んだ以上、子どもの望むことを全力で支えていくのが親の責任と私は考えている。それが私にできるのか?

こんな記事を書いたのは少し理由がある。先ほど、子どもを生むことに肯定的な意見の友人ばっかりだったと言ったが、少し前に、SNSで同じ年の女の子が、「今は肉体的に子どもを産むのに一番適しているけど、子どもを育てる環境が全然整っていない状態で産むだなんてつらい、なかなか子どもについてネガティブな意見を持っている子がいなくて嫌だな(要約)」ということを言っていて、かなり頷いてしまった。私は女性進出を否定しているわけではないけれど、多くの女性が社会に出ることによって、確実に子どもが増えにくい時代になった。だって、ストレートで大学を出ても、23歳だ。仕事を覚えなければと必死になるうちに、あっという間に30歳になってしまう。体が若くてもお金がなくて産めない、今度はお金が貯まったら体の方がもうダメになってしまっている。絶望的に、今の社会のシステムと、出産子育てのシステムがかみ合っていない。生物学的に言えば、前の時代の方が豊かだったのである。(もちろん、出産という面を除けば、女性が声を上げられる場面は増えてきたと言えるが)

こんなことを書いてきたけど、私は女性に権利を!みたいなことを主張したいのではない。ただつらいなぁと思う。どうすればいいのかと思う。

近頃、事件をきっかけに児童虐待が問題になっている。実の両親が実の娘を手にかけ、子どもを守るための機関が子どもを守れなかったこの事実に震える。「片親だから」「実の親じゃないから」そんなことは関係ない。そんなことではなく、親(という立場の人間)がどのような人間か、どのような生き方をし、どのように子どもを守り、愛していくのかが重要だと思う。専門家に比べれば齧った程度であるが大学で教育というものを勉強した人間として、こんなことは言いたくはないのだけれど、子どもにとって一番は親の存在だ。勿論例外がある事は承知で言うが、教育現場での病理は、昨今の親子関係の影響を大きく受けている。子どもにとって親は絶対だ。私自身も親を客観視し、一人の人間として見ることができたのは成人してからだった。

重たいなぁ、多くの人はここまで考えることはないのかもしれないけれど、子どもを産むということはそういうことを覚悟することだと思う。また、それだけ覚悟しても子どもに恵まれないことだってある。

子どもは特に欲しくはないけれども、好きな人との子どもには会ってみたいと思う。こんな無責任な願いではきっとだめなのだ。覚悟し、自分と子どもに恥じない生き方をしなければ。