鴨川に寄せて

論理性などありはしない 自分を解くのみ

3月20日 祈り

好きだったパスタ屋さんが2月末で閉店していた。

その店は、高校の最寄り駅から少し歩いたところにある店だった。いわゆるちょっとおしゃれなイタ飯屋で、しかしそれほど高価でなく、緊張せず入れる店だった。初めてその店に行ったのは、高校2年生の時だったように思う。高校の生徒会のメンバーで、女子会だ、と言ってお昼を食べに行った。とても美味しくて、また店の雰囲気も良く、それ以降何度も足を運んだ。母と、同級生と、卒業してからは先生と。先生と行った時は夜で、さくさくとメニューの中からパスタやアヒージョを選ぶその手際の良さに私は驚いた。その頃はお酒が飲める年齢ではなかったので、それっぽいものを頼もうと、ノンアルコールのカクテルみたいなドリンクを頼んだ。恋の話に花を咲かせながら、楽しい時間を過ごした。最期にその店に行ったのは、去年の夏だ。リクルートスーツを着て、大学の同級生にその店を紹介したのだった。私はそこで初めて、大学で出会った人に、自分の恋人の話をした。あれが最後だったのだと思うと、切ない気持ちになる。たくさんの人と、いい時間を過ごした場所が無くなってしまうのは心の一部が無くなってしまうように悲しい。

閉店にがっくりしながら、母と別の喫茶店を訪れた。席に座ると、ふと高校の入学式の日にもこの店に来たことを思い出した。新しい制服に身を包んで、晴れがましい気持ちでいたら、お店の人が「入学ですか?おめでとうございます」と声をかけてくれたのだ。人生の中で、最も希望が満ち溢れていた時だった。喫茶店の外からは川が見えて、川沿いには桜が咲き誇っていて、新しい生活に思いを馳せていた。それからどうしてこんなにも時が経ってしまったのか。私は近々、大学を卒業する。どうかこの店までも潰れてしまいませんように。

私は春になると、失ったものばかり思い出す。高校を卒業してからの私にとって、春は希望どころか絶望の季節だった。世間が浮足立てば立つほど私の心は淀んでいった。だってもう、私を好きだと言い、私が好きだった人はいないのだから、とべそをかきながら桜並木を歩いた事を思い出してしまう。今はそれほどでもないけれど、春はやっぱり居なくなった人の影を見てしまう。春は別れだ。

だからこそ、私はただただ祈る。祈りこそが私にできることで、私のしたいことなのだと最近思うようになった。どうか、私の好きだった人たちが幸せとはいかなくても、心安らかに暮らせますように。親しくなれずとも、短い私の人生の中ですれ違った人たちの未来が明るくありますように。去っていく人が、もういない人が、前に前に進めますように。この先、また繋がることがあっても、もう二度と会えなくても、どうか笑顔でいられますように。

 

憎悪や悲しみも含めて、私は出会った人たちのことを深く愛しています。あなたたちが私のかけらをすべて捨ててしまっていたとしても、私は忘れずに祈り続けます。さようなら、愛しています。