鴨川に寄せて

論理性などありはしない 自分を解くのみ

11月25日 友だち

こんなタイトルをつけておいて恥ずかしいことに、私は友達が少ない。幼い頃から人と関わることが得意でなく、小学2年生の頃から、ああ自分は同級生のようにうまく友情が育めないのだと自覚していた。その時から絶えず友人が少ない理由を、自分がうまく人と関われず甘えられない理由を探しているけれど、明確な理由は見つかっていない。もしかしたら私の人生をかけた謎なのかもしれない。そんな中で今私の中で話題になっている仮説は、「自分は人よりも悪意の影響を受けやすい」「自分は一定以上の友人をそもそも持てない」の二つである。

 

一つ目。私は対面する相手がどんな気持ちでいるのかがよく分かる方だと思う。人が嬉しい気持ちで満たされていることもわかれば、相手がイライラしてることもすぐ察知してしまう。人が人を見下したり、侮蔑するシーンで、本人は気づいてないのに私だけ分かってしまうことがある。言い換えれば人の悪意を察知しやすい。そのためよく人を避けてしまうことがある。自分が非難に晒されていなくてもその悪意で十分お腹いっぱいになってしまう。

 

二つ目。おそらく、私は多くの人間と友情関係を築けない。仲良く遊べる友人が結構な人数いた時もある。毎日のようにいろんな人とどこかに出かけていたが、楽しいと思う反面、かなり疲弊してしまうことがあった。相手への好意とは無関係に。多分、私は多くとも5人くらいしか楽しく友情関係が結べないような気がしている。決めつけはよくないが、この歳になると無理して友達を作るより、ごくわずかな、心が落ち着く人と共にいるのが本当にありがたい。

 

ずっと孤独だった時というものは、22年間で一度もないように思える。瞬間的には私の周りには誰もいない、と感じることはあったが、思い返せば誰かは私のそばにいてくれた。

 

それから。私はよく周囲に優しい人だ、と言われるが、全くそんなことはない。誰よりも冷たい。友人が自分の美学に反することをすれば、その瞬間に見限ってしまう。そして悲しいことに、その選択を後悔しない。人を見る目には自信があって、多分この人とはいつか合わなくなるだろう、と思った人とは十中八九別れている。直感って怖いものだ。いつか見限ったり見限られたりした人と再会できた時、どのような感情を抱くのだろう?

 

けれど残念ながら私は大人になってしまったので、合う人とも合わない人とも付き合っていかなきゃならない。得意ではないけど、最低限のコミュニケーションはできるはずだ(と信じたい) こうやって、自分が友人が少ない理由を、そしてそこから自分とはどのような人間なのか?という問いに性懲りも無く何年も何年も悩み続けるのだろう。

10月31日 匂い

人には匂いがある。

 

ちょっと下世話な話をすると、好ましい匂いがする人とは体の相性がいいらしい。本当かどうかわからないけれど、遺伝子が似ている人より似ていない人の方がいい匂いがするそうだ。

 

人の匂いを言語化するのは大変難しい。私の少ない語彙を絞り出して言い表すならば、恋人は、清潔な匂いがする。私は恋人の匂いを感じると、瞼が重たくなる。いわゆる安心する匂いというべきだろうか。情欲を掻きたてられるような、頭がクラクラする匂いではない。心地よく、素直な匂いだ。

 

自分の本名に少々関係あることもあるのか、私は匂いに比較的敏感だと思う。花粉症で鼻が詰まるときはまともに働かないので悲しいが、周囲が気づかないような匂いをふと感じたりする。

 

抱きしめられるのが好きだ。肩に顔を埋めたら、あの匂いがする。それに包まれていると、私は何故だか多くのことから赦された気持ちになる。