鴨川に寄せて

論理性などありはしない 自分を解くのみ

5月1日 恋人

本当は平成の終わりにこの記事を書こうと思ったんだけれど、気がついたらもう時代は変わってしまっていた。お酒を飲み過ぎていて意識を失っていた私を起こし、恋人はスマートフォンに表示された時間を指さした。23:59、あっ、と目が覚めたと同時に、0:00に移り変わる。4月30日の終わり、そして平成が終わる瞬間だった。

恋人と出会ったのは15歳、高校1年生の時だった。同じクラスで、出席番号順で並んだ最初の座席の、隣の席に座っていた男の子。15歳とは思えないほど硬い文章を書いていて、初めは何を考えているかわからない、難しい子だと思った。高校1年生の時の私は拗らせのピークだったので、教室でほとんど誰とも話さなかった。そのため、クラスというよりも何となく入った図書委員で少しずつお互いのことを認識していたように思える。転機は、秋頃だった。私は図書委員の知人に、生徒会をやらないかと勧誘をされたのだ。わけもわからないまま、はいと頷き、新規生徒会役員の顔合わせのために、生徒会室に呼び出されて扉を開けたら、恋人がいたのだ。別に示し合わせたわけでもないけど、知っている人がいてすこしほっとしたことを覚えている。同じクラスだったからだろうか、それとも感覚的にシンパシーを感じていたのか、わからないけれど、なんとなくこの人と頑張っていきたいな、と思った。生徒会活動は忙しく、けれど充実したものだった。うまく人と渡り合っていけない私の唯一の居場所だった。今になっても、他の人にはそうでなくても、私にはこの場所が一番大切だった。友人がいて、後輩がいて、恋人がいる日々、還りたいと思うのはこの場所だけだった。私の幸せと不幸せはこの場所に直結しているのだと、今でも思う。

恋人と恋人になったのは、高校3年生の春だった。高校から少し離れたところにある川のほとりで告白されたのだ。彼の懸命さと、春の夕の風の冷たさをよく覚えている。その日から生徒会を引退して卒業するまで、私たちはずっと恋人だった。正直に言うと、順風満帆な関係性を築けていたか、というとそうではない。今から思い返せば、お互いの気持ちや考えを表明することが不十分だった。好きで好きで仕方がなかったのに、それが数ミリも相手に伝わっていなかった。大学受験や、その先の慣れない生活の中で少しずつ少しずつその歪みは大きくなって、彼と私の心がぼろぼろになったところでお別れを選んだのだった。

今はもう慣れ親しんだ恋人の匂いを知ったのは、再び付き合うようになってからだった。その人の匂いというものは、ぐっと体を寄せないと意外とわからないものだ。私は高校生活の間ずっと彼の近くにいたけれど、匂いを感じる距離には踏み込むことができなかったということである。手をつなぐことしかできなかった、ということを思うと何とも苦々しい。別れてから久々に会った恋人は少し変わっていた。纏っている雰囲気に緊迫したものがなくなって、穏やかになっていた。大きく豹変していたらどうしようかと思ったので安心した半面、泣きたくなった。こんな風に落ち着くまで、どれほど泣いてどれほど自分に鞭打ったんだろう、それを私は助けることも知ることもできなかったのだ。それから昔の自分の余裕のなさと子どもっぽさを呪ったものだった。空白の数年を埋めるかのように、私は恋人のことを知りたいと思った。そしてやはり私は彼のことが好きなのだった。

恋人の好きなところをひたすら書きなぐろうと思ったけれど、とてもまとまりそうにないのでまた書くことにする。もう一度高校時代に戻りたい。制服を着て、朝の教室で話をして、お昼ご飯を食べて、図書室で勉強して、一緒に帰りたい。そんな私の平成の夢は、もう叶わないな。