鴨川に寄せて

論理性などありはしない 自分を解くのみ

3月31日 さようなら文学

卒業式の後手渡された成績表。卒業論文の評価が芳しくなくて、それでも怒ったり悲しんだりすることもなくただ、そんなものなのだろうと受け止めるしかなかった自分がいた。晴れ着に身を包んだ同級生に交わることなく、さえない黒スーツでぼんやりと大学構内を歩いた。正直に言ってしまえば、大学に対して一つも愛はない。苦しい4年間だった。

私が文章を書けなくなっていったのは大学1回生の終わりぐらいだったと思う。書くのが好きだから、文学が好きだから、そう思って文学部に入ったけれども、私はどこまでもただの「読者」にすぎないことを痛感したのだ。私は何も生み出せない。何も学べない。レポートが書けない。様々な文学に触れても、優れた感想も、新しい発見もない。今まで書くことに苦労しなかった私の大きな大きな挫折だった。私はどんどん怖くなって、ひどいときには全く大学で人としゃべれなくなったこともあった。文章が全く頭に入ってこないこともあった。言葉が言葉として認識できない。レポートの質も上がるどころか、どんどん落ちていったと思う。

高校生の時は漠然と、好きな文学の勉強がしたいと思っていた。けれど、もしかしたら私は対して文学なんて好きじゃなくて、生きるために文学を好きなふりをしていただけではないか。私は数学も理科も、英語もできなかった。唯一選べたのが、文学部だったのだ。本当は文学も言葉も本も大嫌いなのではないか、そう思うと気が狂いそうになった。

結局文学を研究することを諦めて、「何とか卒論が書けそうだ」という合理的判断のもとに、当時自分が志していた分野とは少し離れたゼミに入った。本当は、ゼミの研究テーマに興味があったかというと、怪しいところがある。私はこの選択を後悔しているけど、こうするしかなかったのだ、という思いは確かなのである。どうしようもなかったのだ。卒論のテーマに自分の好きなことをやれば、きっとまだ好きなものも嫌いになってしまうに違いない。卒論は本当につらかった。自分が文章を書くことに向いていないという事実に嫌と言うほど向き合う作業だったからだ。

何のための4年間だったのだろう。