2月20日 クラスメイト
友人とも言えないようなクラスメイトと、地元の最寄り駅から帰ったことがある。
彼女の名字がどうしても思い出せないが、高校一年の時のクラスメイトだった。一年の時ではなく、クラスが離れてからのことだった。何故一緒に帰ったのかは覚えていない。普段バス通学していた私が、たまたま地下鉄を利用し、その地元の駅で偶然に出会ったのだろうか。私はその元クラスメイトと地元が一緒で、隣の中学校に通っていたことをその時はじめて知った。
彼女はバレー部に所属していた(と思う)。バレー部といえば、私の中学ではいじめが横行していて、失礼ながら陰湿で高圧的な女子しかいないイメージだった。ところが彼女は素朴で、爽やかな女の子だった。今もそうだけれど、高校の時の私はさらに、同学年の女の子と話すことが苦手だった。まして、自分とは住む世界が違う運動部の女の子だ。当時の私は内心嫌だなぁと反芻していたことだろう。私は特別に親しい人を除いて、人と並んで歩くのが好きではなかった。
しかし、彼女が自分と同じ地元出身であること、通っていた塾(彼女は途中で塾を変えたらしいけど)が同じだったことを知り、さらにそれ以上に印象に残っていることがある。彼女が好きな人の話を私にしてくれたのだ。その思い人は交友関係が皆無の私でも知っている人だった。偶然だけれど、その彼と同じ塾だったのだ。彼女が塾を辞めた後に入ってきて、塾内の優秀者一覧にいつものるような、一番上のクラスに行けない私にとっては雲の上のような存在の男の子だった。直接話したことはなく、塾の廊下でたまに見かけるくらいの人。彼は私の母校よりもずっと難しい高校の難しい学科を受験して、落っこちてきたらしかった。バスケ部の彼とバレー部の彼女。「○○くん、かっこよくない?」と言われて、ああ、確かにそう言われてみればかっこいい人だったな、と思い出して何となく同意する。
それ以降も、彼女は思い人の素晴らさを私の前で披露した。まさしく恋する乙女を前にして私は本当に驚いてしまった。さして親しくもないただの同級生(と私が思っているだけで、彼女は親しい/親しくないの境界がさほどないのだと思う)に、自分の個人的な、特に恋愛の話を持ちかけるその魂の在り方にびっくりしたのである。なんて健全で、健康なんだろう。恋愛の話をしているのに、どうしていやらしさが全く無いのだろう。そう思いながら、地元の馴れた道を新鮮な思いで歩いた。
彼女の恋が実ったのか、実らなかったのかは結局わからない。その日以降、彼女と一緒に帰ることはなかった。けれど、ありきたりな言葉ではあるが、恋が叶っても叶わなくても、元気でいてくれればいいな、とふと地元の駅を歩きながら思う2月の昼下がりだった。
2月17日 子ども
少し前に「結婚」についての記事を書いたけれど、その続きのようなものを書いていきたいと思う。本日は「子ども」について。
小学校から大学にかけて、恋愛や結婚について語った友人に多かったのが「早く結婚して、子どもを産みたい」という考えだった。中には旦那はいらないから子どもだけほしいという子もいた。子どもを好きな友人が多かったのである。それ故に、私はそんな話題が出るたびにちょっと困った顔をするしかなかった。私は別に子どもが嫌いなわけではない。ただ、「絶対に子どもが欲しい。婚活してでも絶対に結婚して、子どもを持つ」という意見には、同意できないのである。
まず、私は子どもがどういう存在であるかということをあまりわかっていない。私は一人っ子で、ほとんど交わりのない親戚の中でも一番年齢が低い。知人もまだ子どもを産む年齢ではない。圧倒的に子どもと関わる機会がないのである。好き/嫌いの以前に、得体の知れないものへの恐怖が勝っているのかもしれない。交通機関なので泣きじゃくる子どもを見るとびっくりしてしまう。それから、将来への諸々な不安である。自分ひとりが将来ちゃんと生活していけるか不透明な時代。他者の人生を作り出してしまうことに、自分は責任を負えるのか?と自問しては悩んでしまう。この日本という先行きがどうも怪しい国で、私は子どもにちゃんとお金と愛情をかけてあげられることができるのだろうか。そもそも、自分は一人の人間に対して責任を負えるほどまともな人間なのだろうか、いやそうではないだろう、と思考がぐるぐる回る。産んだ以上、子どもの望むことを全力で支えていくのが親の責任と私は考えている。それが私にできるのか?
こんな記事を書いたのは少し理由がある。先ほど、子どもを生むことに肯定的な意見の友人ばっかりだったと言ったが、少し前に、SNSで同じ年の女の子が、「今は肉体的に子どもを産むのに一番適しているけど、子どもを育てる環境が全然整っていない状態で産むだなんてつらい、なかなか子どもについてネガティブな意見を持っている子がいなくて嫌だな(要約)」ということを言っていて、かなり頷いてしまった。私は女性進出を否定しているわけではないけれど、多くの女性が社会に出ることによって、確実に子どもが増えにくい時代になった。だって、ストレートで大学を出ても、23歳だ。仕事を覚えなければと必死になるうちに、あっという間に30歳になってしまう。体が若くてもお金がなくて産めない、今度はお金が貯まったら体の方がもうダメになってしまっている。絶望的に、今の社会のシステムと、出産子育てのシステムがかみ合っていない。生物学的に言えば、前の時代の方が豊かだったのである。(もちろん、出産という面を除けば、女性が声を上げられる場面は増えてきたと言えるが)
こんなことを書いてきたけど、私は女性に権利を!みたいなことを主張したいのではない。ただつらいなぁと思う。どうすればいいのかと思う。
近頃、事件をきっかけに児童虐待が問題になっている。実の両親が実の娘を手にかけ、子どもを守るための機関が子どもを守れなかったこの事実に震える。「片親だから」「実の親じゃないから」そんなことは関係ない。そんなことではなく、親(という立場の人間)がどのような人間か、どのような生き方をし、どのように子どもを守り、愛していくのかが重要だと思う。専門家に比べれば齧った程度であるが大学で教育というものを勉強した人間として、こんなことは言いたくはないのだけれど、子どもにとって一番は親の存在だ。勿論例外がある事は承知で言うが、教育現場での病理は、昨今の親子関係の影響を大きく受けている。子どもにとって親は絶対だ。私自身も親を客観視し、一人の人間として見ることができたのは成人してからだった。
重たいなぁ、多くの人はここまで考えることはないのかもしれないけれど、子どもを産むということはそういうことを覚悟することだと思う。また、それだけ覚悟しても子どもに恵まれないことだってある。
子どもは特に欲しくはないけれども、好きな人との子どもには会ってみたいと思う。こんな無責任な願いではきっとだめなのだ。覚悟し、自分と子どもに恥じない生き方をしなければ。
2月13日 喧嘩
こんなエピソードがある。
小学6年生の卒業遠足のことだった。義務教育が好きなグループを作ってUSJを巡るという内容だった。私たちのグループは6~7人くらいで、事前にどのアトラクションに乗ろうか議論していた。そんな中で、グループの1人に絶叫系の苦手な女の子がいて、あまり乗り物に乗れないから他のみんなを待っている、けれどショーだけは見たいと言っていた。私たちはじゃあ約束ね、と言ったのだけど当日、なんと一人の子がショーは見たくない、スパイダーマンに並びたいと言い出し、何人かが賛同したのだ。私は本当に怒ってしまってアトラクションが苦手な子と、もう一人憤ってた友人の手を引き、グループを離反してショーを見に行った。(その約束反故の女の子は高校まで一緒だったのだが、私の友人の悪口を言ってるのを聞いてまた喧嘩しそうになったのである)
さらに、中学3年もう受験も終わり、卒業式を待つのみ。これから未来に向かってばらばらに散っていく友人たちと別れを惜しむべきそんな時。当時仲が良かった女の子の悪口を聞き、その場で憤り大喧嘩。悪口を言われた女の子はそのことを聞き、「○○ちゃん(私)が損になることをしちゃだめだよ」と大泣きしながら電話をくれ、諭された。
高校になっても教室で恋愛に拗れた男の子とガチ喧嘩をし周囲ドン引き、めそめそしてクラス会長や先生に慰められる。生徒会室で好きな男の子に思いっきり怒って出ていき、後悔して友人にめそめそ泣きつく。
色々思い出して頭が痛い。私はかなり喧嘩早いころがあり、これは本当に直すべき性質である。悪態をつかれると悪態で返してしまう。自身や友人が悪意に晒されると、黙ってられないところがある。損だし、いちいちかっかしてたら情けない、受け流すすべを覚えないといけないことは承知である。かつての友人に、そういううまく怒りの感情をコントロールして敵を作らないよう立ち回るのがうまい人がいて、私はそのやり方が大嫌いなのだけど、学ばなければならないと切に思う。
怒ることは悪いことではない。けれど、そのことによって自分や大切な人が損をしないか?さらに悪い状況にならないか?こういうことを考えなければならない。そして、例え損になったとしても受けるべき喧嘩は受けなければならないのである。絶えず考えろ、戦場を見誤るな。
2月7日 大学生活
先日、卒業論文の口頭試問を終えた。おそらく、卒業することが出来るだろう。
私の汚く、惨めな大学生活の中でも、出会えた人がいた。そんな人のことを書こうと思う。
教職の授業で、私の模擬授業に対して、直接目を見て面白かったと言ってくれた女の子。時折挨拶をしてくれた男の子。私のTwitterアカウントを勝手に見つけ出して張り付き、なぜか私を評価してくれた、学内でところかまわず話しかけてきた男の子。髪を切ったり染めたりパーマを当てると、誰も気づかなくても絶対に気づいてくれた女の子。第二言語でとても仲良くなったけど、学年が上がると話すこともなくなった女の子。卒業も就職もギリギリで戦っていた先輩。弱弱しい笑顔が素敵だった女の子。就職活動が嫌になって終活後速攻リクルートスーツを処分した女の子。
志望業界が同じで、就職活動中支え合った女の子。喫茶店で将来の話をし、イタ飯屋でパスタを食べながら、恋人の話をしたのは彼女だけだった。私を名字に「さん」をつけて呼ぶ、おしとやかだけれど親しみやすい不思議な人。
関東の大学に通っていた、何回かデートした男の子。私はきっとあなたのことを好きになりかけていた。物腰柔らかなところ、ユーモアがあるところ、おそらく私に見せない暗い部分があるところ、そして文章がとっても素敵な人だった。怒られるかもしれないけれど、ちょっと今の恋人に雰囲気が似ている。彼がもし京都にいて、同じ大学で何のわだかまりもなく出会えていたら必ず好きになっていた。もしくは、彼が私と同じ高校に合格していて、同級生になっていたら、たぶん好きになって付き合っていた。けれど私は長い長い時間恋人に囚われたままだったのでこれでよかったのだ。恋人と付き合い始めて、人づてで彼が私のことを好きだということを聞いてしまった。悪いことをしたなぁと思う。だからこそ、もう私から連絡することはもうないのだろう。遠い遠い東京で、素敵な物語を書き続けてほしいと思う。
約3年間、私の情緒と体をすべてささげた元彼。たくさん傷つけて、傷つけられた人。この場所はあの人の思い出が多すぎるから、私は一生懸命忘れることにした。そうしないとおかしくなってしまう。私は薄情だからきっとこのまま忘れて悲しい気持ちもうれしい気持ちも全て封印してしまうけれど、いつか幸せになってほしいと思う。私の悪口を言う暇など、きっとないんだよ。女に依存しちゃだめだよ、もっと幸せを振りまく女の子と付き合うんだよ。さようなら。
それから高校時代から私を支えてくれた親友といってふさわしい男の子。恋人と一度別れた時、一番苦しんで、一番励ましてくれたのは彼だったと思う。本当に本当に悪いことをした。彼ともまた、うまく恋を育てることができなかった。間違って間違って道を踏み外して、とうとう私たちはただの友達に戻る事も叶わなくなった。けれど仕方がないのかもしれない、男女の友情とはこんなものなのかもしれない。ごめんね、ごめんね。
人を傷つけ、傷つけられ、捨てて、捨てられるような日々だった。傷つけることはすなわち傷つくことで、捨てることはすなわち捨てられるということを知った。たくさんの人と闇雲にかかわり続ける日々があって、私は精神をぼろぼろにし、今は誰からも少し離れた場所でぼんやりとしている。人と関わらない方が安定しているなんて、馬鹿みたいだ。どうすればよかったのだろう、けれど私はもう一度大学生活をやり直してもきっとこうなってしまうのだろう、という確信がある。人を信じ、人を愛することを覚えたのが高校時代で、人を傷つけ、人を捨てることしか覚えられなかったのが大学時代だった。許されたいと思う。一番好きな人を取り戻した代償として、それ以外の恋も情も捨てた私を、その選択を恐らく後悔しない私を、いつか許してほしいと思う。
1月27日 弔い
母の友人が亡くなった。
特に生存率が低いと言われる病にかかり、その生存率の通りに亡くなってしまわれた。母の一番とも言える友人で、本当に痛ましい。そして、母と同じ年齢の人が亡くなるのは娘としても感じることがあった。
母の友人を仮にAさんと呼ぶとする。友人の娘として、Aさんには本当に可愛がってもらった。どこかへ旅行へ行った折には、必ず私に可愛らしいお菓子や雑貨をお土産として買ってきてくれた。親戚や祖父母に優しくしてもらった記憶が薄い自分にとって、Aさんは、両親を除いた数少ない優しい大人だった。
小学校の頃には、夏休みになるとよく母と二人でAさんの家を訪ねた。兄弟のいない私にAさんは気を使ってくれたのか、あらかじめたくさんのおもちゃを買って用意してくれていた。Aさんと母と私で人生ゲームを何度もやったことが記憶に残っている。カレーを作ってくれたことも。Aさんの家は一戸建てで、マンション暮しの私にはとても新鮮なものだった。1階には和室が一部屋あり、少し階段を登ると中二階のようなところに、キッチンとお風呂の部屋がある。二階はもう一部屋広い和室があり、もう一つが洋室だった。壁にはびっしりと本棚と本が並べられていたことを思い出した。いくつか本を貸してもらったが、どのようなタイトルか、内容はもう忘れてしまっていた。
小学校を卒業し、中学に入学してやれ高校受験や、やれ大学受験にかまけ、私はAさんに会うこともほとんどなくなり、夏になってもあの家に遊びに行くことはなかった。結局、去年の夏、母とお見舞いに行って数年ぶりの再会を果たしたあの日が最後になってしまった。当時私は就職が決まっていなくて、そんなことを笑い話にした気がする。それ以上会いに行くことはなかった。元々Aさんにとって私は友人の娘という微妙な立ち位置だし、しょっちゅう会いに来ても困るだろうと思っていた。母や友人たちと過ごす時間に水を差すのも無粋な話だ。けれど、人間は愚かなもので、失ってから後悔する。しかも、数歩先の未来がどんなものであるか、私には確かに見えていたのに、だ。
私は一つだけ後悔している。
小学生のある夏の日、私と母はAさんの家に泊まりに行った。私はお泊りに当時とても大切にしていた犬の小さなぬいぐるみを持って行ったのだが、それを忘れてきてしまったのである。(大切にしているならば忘れるな、という指摘は最もだが、私は何故か外にぬいぐるみを持っていくとよく忘れてしまう)それを伝えると、翌日Aさんは私の犬のぬいぐるみを持ってきてくれたのである。仕事終わりですぐに家に帰りたいだろうに、近くの駅までわざわざ。私はその時とても嬉しかった。
そんな昔のことを思い出してしまった。もう一度ちゃんとお礼を言えばよかった。亡くなってからそのことをようやく思い出したのだ。私は救われない気持ちで、あの時ぬいぐるみをかばんから取り出して私に渡してくれたAさんの姿を忘れられずにいる。
どうか、どうか安らかに。そう強く願う。
1月11日 結婚
よしもとばななの『イルカ』を読んで、女の生き方や結婚、子どもを産むことについてうんうん唸りながら考えていたら、少し年上の先輩が数人がめでたくも今年中に結婚すると立て続けに報告していて余計に不思議な気持ちになった。
24や25は現代で言えばちょっと早婚であると言えるけれど、決しておかしいことではない。法律では婚姻を結ぶことができる16歳になった時、私はこの16歳という年齢に何の意味も感じていなかったけれど、今年23歳になる私は、年齢というものがとても重たく感じられる。空想、あるいはもう妄想ともいってよかった結婚や出産という人生の節目が、一挙に迫ってくるように思える。周囲の知人が全員そうである、ということは決してないが、今付き合っている人と何歳で結婚して、何歳で子どもを産む、それから親の介護にまで話が及ぶと、私は来るところまで来てしまったな、という思いに途方に暮れる。
私は、結婚や出産それ自体に(現状であるが)、それほど執着がない。残念ながら私は独りがとても好きなのと、面倒くさがりなので、周囲の結婚で動揺することはあるだろうが、婚活!婚活!とあくせく走り回るエネルギーはきっと将来湧き出てこないのだと思う。(もし30歳未婚の私がこの記事を見たら、笑い飛ばしてください)
ただ、好きな人と力を合わせて生活していくことにとても魅力を感じる。社会が次々と変化していく中で、婚姻の形が変わらないはずがない。ここで話を膨らますことはしないけれど、私は別居婚も事実婚も同性婚も、他者を害さない、という責任を負うならば、素敵なことだと思う。男の人も家事をたくさんすればいいし、女の人もちょっと踏ん張って仕事をしてもいい。もちろん愛だけでやっていけないこと、生活をすることによって関係性が悪い方向に変容するかもしれないリスクも考える。それでも私は好きな人と互いのパートナーシップをはぐくめたらいいと思う。理想論だけど、それが許容される社会を作ることができたらいいと思うのだ。
私は結婚するのかもしれないし、結婚しないのかもしれない。でも、好きな人が眠っていたら布団をかけてあげたい。好きな人がお腹をすかせていたらたくさん食べさせてあげたい。好きな人が悲しい時はただそばにいたい。好きな人の人生に自分の存在を認めてほしいのだ。その願いが叶い、周囲にそのことを示すことができるのが、結婚というものだと、現在は理解している。ただ、まだまだ幼い私は不確定な未来を怖がりながら、ただただ恋人のそばにこれからもいられるように祈ることしかできないのだ。
1月3日 2019年100の目標
- 自分を許す
- 自分を好きになる
- 合わない人と付き合い続けない
- そばにいる人を大切にする
- ゆっくり、穏やかに話す
- 怒りっぽい性格を少しマシにする
- 自分の冷たさと優しさを理解する
- 心を開かず、孤独でいることを誇る
- 心を許せるなら、とことん素直に
- 自立し、生活をしていく
- 自分とは何か、を問い続けることを諦めない
- 恋人と仲良く過ごす
- 誠意を何よりも大切にする
- 素直な気持ちを伝える
- スキンシップを忘れない
- 拗ねずに甘える
- 着物デートをする
- 温泉旅行に行く
- 名古屋旅行に行く
- プールに行く
- プラネタリウムを見に行く
- ライブに行く
- 焼肉を食べる
- 鍋を食べる
- 夜通しゲームする
- 夜通し語り合う
- 将来のことを語り合う
- 一緒にたくさん写真を撮る
- 手紙を書く
- 手料理を振舞う
- 差し入れをする
- 二人でべろべろに酔っぱらう
- おそろいのものを楽しむ
- 酔っぱらったら電話をする
- 職場の人の顔と名前を早く覚える
- 得意なことと苦手なことを早く知る
- 尊敬できる人を見つける
- 失敗しても凹みすぎない
- お酒での失敗をしない
- 嫌いな人は陰でぼろくそに言う
- 初任給で家族にごちそうをする
- お給料で家族にプレゼントをする
- お給料で恋人にプレゼントをする
- 衣服のしわ、汚れに注意する
- 脱毛に行く
- 髪の毛をすぐ乾かす
- 似合う髪型を模索する
- お風呂上り、体の保湿を怠らない
- リップクリームを塗る
- 美容院に定期的に行く
- 服は熟考して買う
- 化粧品を何となくで買わない
- 指輪のクリーニングを忘れない
- イルビゾンテの革製品を買う
- かわいい腕時計を買う
- 起きたらカーテンを開けて朝日を浴びる
- 毎日クイックルワイパーをかける
- お菓子作りに凝ってみる
- 料理のレパートリーを増やす
- 野菜をしっかりとる工夫をする
- 靴下かスリッパで寒さ対策
- 可能な限りお弁当を作る
- 家計簿をつけてお金の管理をする
- 年間50万貯金を目指す
- 理想体重に近づく
- 階段をできるだけ使う
- 2キロ余裕で走りきれる体力をつける
- ちょっとした筋トレを続ける
- 自転車を買って遠出する
- 遺書を書く
- 図書館に通いつめる
- 絵を楽しんで描く習慣をつける
- 絵具やマーカーを使い、色彩センスを磨く
- LINEスタンプを作ってみる
- 忙しくても美術館を巡る
- 日々に読書する余裕を持つ
- 読書メーターに記録する
- 哲学書に挑戦する
- 世界史をもっと勉強する
- ブログを書いて思考を整理する
- 個人誌を作る
- 短編を10本書く
- 簡単な日記を毎日つける
- 思いついたことをメモする習慣をつける
- 詩を書いてみる
- 歌を詠む
- 短歌賞に応募する
- 歌集を読み込む
- 和歌に触れる
- aikoに会いに行く
- aikoのCDを集める
- ipodの整理をする
- 山に登る
- おいしいラーメン屋を開拓する
- お気に入りのカフェを見つける
- キルフェボンのケーキを食べる((
- 定期的に一人映画に出かける
- SNSから少しずつ離れてみる
- 京都について勉強する
- ぬいぐるみを愛でる
1~11が自分について、12~34が恋人、35~43が仕事、44~55が美容とおしゃれ、56~71が生活と健康、72~100が趣味とお出かけ、というように考えて目標を立ててみた。恋人に関してはそれだけで100個やりたいことリストができそうだった